2024.08.29
前回は「Specimens of the spilled over (こぼれ落ちたものの標本)」というシリーズをどうやって作っているのか、具体的な手順を紹介しました。
今日は、この「こぼれ落ちたものの標本」というシリーズを何故作り始めたのかを少しお話ししようと思います。
しっかり意識し始めたのがいつからなのか分かりませんが、僕はモノとモノの間や隙間、あるいは何かと何かのはっきりしない境界に異常に惹かれるようになりました。現代アート作品では、ひたすらそういうものを追求してきて、何で曖昧さにそこまでこだわるんですかと何度何度も聞かれました。
その度に、日本の伝統美だから、というような説明をしてきたんですが、最近になってようやくもっとしっくり来る説明が見つかった気がしています。
そしてこれは、僕のデザイナーとしての仕事とも関係しています。
僕はデザイナーとしても色々なものを作っていますが、デザインの仕事はクライアントやその先にいるユーザーのために、情報を整理整頓するのが基本です。その整理整頓の作業の中には、センシティブな情報をどうするかという判断もあります。差別的な表現はもちろん絶対に避けなければいけません。
そして、差別的な表現をしてしまわないための理論も色々あり、これをやったらこういう差別になるよね、という分類が細かく考えられています。
これは基本的にはとても良いことだと思いますが、その一方で色々な理論や言葉を使うだけで「わかったつもり」になっていないだろうか、それが社会が「臭いものに蓋をする」ことになっていないだろうか、そういう疑問を僕はずっと抱えています。
この、「こぼれ落ちたものの標本」シリーズは、この「色々な理論や言葉でわかったつもりになること」がテーマになっています。
色々な言葉の周囲にある曖昧な何かを大きく拡大し、わかりやすい鮮やかな蛍光色で塗りつぶして、虫ピンで固定し、標本にして、社会に流通させる。それは、見せかけの理解であり、曖昧さを記号化し、引き摺り出して消費しているだけなんじゃないか。そんなメッセージが込められています。
昨今、SDGsやダイバーシティといった声の高まりの中で、見せかけの「多様性」や「マイノリティ」への表面的な配慮が、より深い理解や思慮深い関わりを阻害しているのではないかと感じることがあります。
それは、マイノリティや多様性といった概念の類型化にも見え、まるで、まだ見ぬ新種の昆虫に名前をつけ、ピンで固定し、標本箱におさめていくかのように感じるわけです。
これまで曖昧さの中に見過ごされてきた側面を指し示す、新たな言葉を捏造し、その言葉に対応する標本を展示することで、言葉や概念の境界線に隠されたものが発する触感や匂い、味、あるいは音さえも、私たちは見逃しているのかもしれない、と。
現代社会にはそういう側面がある。僕自身もそれと無縁ではない。それを忘れないようにしたいという自戒でもあります。
このシリーズも青山スパイラルガーデンでの個展では新作を幾つか展示していますし、大型サイズのものも見ることができます。
入場無料なので、是非、見に来てください。
グループ展参加情報
ポーランドのワルシャワと韓国の金浦でのグループ展参加が決まりました。
ワルシャワでの展示は9月の最後の週末に行われる「ワルシャワ・ギャラリーウィークエンド」というイベントの一つです。
僕が参加するのは「空の記念碑をいかにして埋めるべきか」というテーマのグループ展で、「The Voice within the Voice」というシリーズから2点、出展します。この作品はスパイラルガーデンでの個展でも展示されています。
もう一つはソウル近郊の金浦にあるCzong Institute for Contemporary Artという現代アートセンターで来年2-3月に開催される「Art is」というグループ展です。僕が参加するのは会期後半(3/12-30)です。
こちらには「八百萬の痕跡 (8 Million Traces)」という作品を何点か出展する予定です。こちらもスパイラルガーデンの個展で見ていただくことが出来ます。
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