私たちは日々、無数の光景を通り過ぎている。

それらは、視界の周縁に留まり、言葉になることなく、記録されることもない。この作品は、そうした「日常の中にあって、既に失われかけている像」に焦点をあてた試みである。

高解像度で捉えられた写真イメージは、印刷の過程でインクが定着されずに垂れ落ち、一部は曖昧に、かすかに、崩れていく。その崩壊は劇的ではない。だが確かに、視覚の内部で起きている。固定されるはずだった像が、あえて不安定なまま提示されることで、「視ること」「記録すること」「忘れること」の境界が浮かび上がる。

写真として記録されたイメージは、本来ならば精緻に再現されるべきだ。しかし本作では、UVインクを定着させる前に垂らし、部分的に崩壊させることで、「保存の不完全さ」や「記憶の漏れ」を物質的に視覚化している。

ここに映し出されるのは、記録されきれなかった時間、言葉にならなかった感情、かたちを成しきれなかった記憶たち̶̶世界からこぼれ落ちた微細な存在たちへの、静かな視線である。

それは、像の崩壊ではなく、むしろ像が生成される“手前”にある豊かさに目を向ける試みであり、「不完全」であることを通して、私たちが何を見落としてきたかを問い直すための風景である。これは、日常という名の大きな透明な容器の中で、誰にも気づかれずに崩れていった小さな断片たちに捧げる、静かなるレクイエムである。