《What was Almost There / そこに在りかけたもの》は、「在る」と「在りかけた」のあいだに宿る、微細な兆しと感覚のずれに目を向けたビデオアートである。
作品の映像は、定点から捉えた長回しの風景。変化はごくわずかで、時折、水面が風に揺れたり、遠くを船が通り過ぎたりする。映像は通常の40%の速度で流れ、さらにところどころにジャンプカットが挿入されている。静けさの中で時が飛び、しかしその断絶には気づく者と気づかぬ者がいる。この“知覚の差異”そのものが、本作の核心である。
画面には、その空間に存在する音環境を可視化したソノグラフが粒子の集合体として浮かぶ。音はただの空気の振動ではない――そこには、私たちの知覚の周縁で常に動いている“八百万の存在”が含まれている。風、虫の羽音、水面の揺れ、遠くの船のエンジン音。それら一つひとつに、名づけられない存在感が宿っている。
ソノグラフは、それらの「声なき存在」の気配を視覚の次元へ引き上げる試みでもある。しかしその粒子はやがて崩れ、離散していく。ソノグラフの消滅は、存在が元の不可視性に還っていく様であり、あらゆる痕跡が時間の中で風化していく様でもある。
《What was Almost There / そこに在りかけたもの》は、自然と人間の関係性、知覚の限界、そしてアニミズム的世界観の再想起に基づいた、静かな映像詩である。そこに在ったのか、在りかけたのか――そのあいまいさにこそ、世界は満ちている。




